島根県江津市をあとにして早七年。「もう直方には慣れましたか?」という言葉さえ今ではあまり掛けてもらえない。言葉も少しずつ「筑豊弁」の様なものになって来た気がする。「ふみちゃん」のラーメンが好きだし、「おきゅうと」もよく食べる。「永楽」の焼きソバが気になり、子供のおもちゃと言えば「すずらん」に走る。しかし、気がつけば「直方」のことを何も知らない私である。
これではいけないと、ある時、西徳寺「ゆいの会」の皆さんに直方散策を提案させて頂いた。内容は長谷川みな子さん、中村幸代さん、そして伊藤紀代子さんにお任せしたところ、お知恵と人脈をフルに使って「直方市内 かくれ名所 仏様を訪ねて 〜近代町屋のご仏前参り〜」なる古町商店街から殿町商店街までの、古いお仏壇や建物を巡る散策コースをご提案頂いた。期日は十一月二十九日、集合場所は古町の「円徳寺」様、総勢十九名程の団体である。
「円徳寺」は西徳寺と同じ浄土真宗本願寺派のお寺で、現在の本堂は明治四十二年、炭鉱王・貝嶋太助氏が、京都の東本願寺御影堂を手掛けたことで知られる宮大工・九世伊藤平左エ門氏を招いて建てたとのこと。円徳寺と貝嶋家との関係であるが、そもそも貝嶋家は円徳寺の門前で生活しており、太助の母タネは貧しくともお念仏を喜び、御法義を大切に生きた人だったそうである。その頃円徳寺で住職を務めていた、太助より二十歳年上の聞誓師は貝嶋家の苦労を一番理解しており、貝嶋家が貧困の中から幾多の困難を乗り越えて一大事業を成し遂げるまで、事ある毎に親子を励まし続け、特に夫永四郎を亡くしてから困窮続きだった太助の母タネは聞誓師の励ましによってそれを乗り越えられたとの思いから、明治二十五年、八十一歳で亡くなる時、「このご恩忘れてはならじ」と太助兄弟に言い遺す。これが、その十五年後の円徳寺本堂建立へと繋がったそうである。
本堂でお参りの後に案内されたお仏間は、つい最近不思議な縁で貝嶋家のお仏間(貝嶋家が作らせた三つの同じお仏間の内、現在の直方第二中学校の所にあり、その後福岡の高宮に移った貝嶋邸のお仏間)がそっくりそのまま移されたものだそうだが、まるで本堂を思わせるような荘厳(そうごん)な雰囲気に、参加者から驚きの声がもれる。お仏壇の大きさだけでその人の信仰心をはかることは決してできないだろうが、それにしても母タネの御法(ごほう)義(ぎ)を大切にする姿勢を、太助をはじめとして貝嶋家の兄弟それぞれが受け継いでいたことを、この荘厳(そうごん)なるお仏間から推(お)し量(はか)ることは許されるのではないだろうか。明治時代の直方にこのようなお仏間があり、そのお給仕(きゅうじ)を一心にする人がいた事、またそのお仏間が再び直方の地に帰ってきた仏縁の不思議さにただお念仏申すのみであった。
現在本堂の改修工事を行っている円徳寺さんだが、その工事監修は十二世伊藤 平左エ門氏、つまり本堂を建てた宮大工のひ孫さんである。円徳寺の坊守様によると、初めて十二世伊藤平左エ門氏が円徳寺を訪れた際、お寺を「拝見」に来られたのではなく「お参りさせて下さい」と訪ねて来られたそうである。
「拝まれる建物造り」を信条とされる伊藤氏らしいエピソードであるが、この度の直方散策への大切な心構えを聞かせていただいたようで大変嬉しかった。このような方に本堂改修工事の監修をお願いできた円徳寺さんが羨ましくもあり、そのような本堂がここ直方にあることを誇らしくも思えた。
円徳寺を後にした一行は円徳寺の婦人会会長をされている「金本さん」のお宅でお参りをさせて頂き、続いて「すきた(鋤田)商店さん」、「永末紙店さん」と古町商店街を行ったり来たり。ちょうど商店街の催しで「マグロの解体」があり、ちんどん屋さんまで出る賑やかな日である。我々十九名の老若男女の団体は、買い物客の目からどのように映っていたのであろうか。
昼食は「長谷川仏壇店さん」の二階ホールで仕出しを取って食べさせて頂いた。このホールでは毎月二十日、「ほうおうの集い」という参加自由の聞法会が行われている。考えてみれば、いくらお仏壇屋さんとはいえ、ごく普通の商店街のお店の二階で毎月法話が聞けるというのも不思議な話であり、有難い縁である。
午後は「庄野質店さん」にお参りの後、「大坪商店さん」、そして奇跡的に火事の難から免れた「たぶち(田淵)商店さん」のお仏壇にお参りである。お世話人の方も、お参りに伺うことをご依頼する段階で、二十数人という人数はさすがに伝えにくかったと見えて、目の前の予想以上の団体に戸惑っておられる家主の方々に最初は申し訳なく思いながらのお参りであったが、段々とお仏壇の素晴らしさ、各ご家庭の建物の見事さに魅せられて、失礼ながら申し訳ないという気持ちはどこかに吹き飛んでしまっていた。お忙しい仕事の合間をぬって、午後から散策に加わって頂いた長谷川仏壇店の野見山店長の「お仏壇解説」が始まると、驚きの溜息とお念仏が交互に出るのに忙しく、尚更であった。
古町を離れるとそのまま殿町にある「すずらん(石原商店)さん」と「前田園さん」にお参り。その後、殿町にある江浦医院の建物などの説明を中村幸代さんから頂いて、最後は古町のギャラリー喫茶(旧福岡銀行直方南支店)に、ご無理を言って直方の新名物「笹屋」の日の出餅を持ち込ませて頂き、コーヒーを飲んで解散となった。
今回お伺いさせて頂いたお宅は、ほとんどが明治中頃から昭和のはじめに建てられた建物で、商店街に面した表から、裏の通りまで坪庭を挟んで細長く続く造りは、まるで京都の「町屋」を想起させ、石炭景気に沸く当時の直方の活気を偲ばせる。
各家庭のお仏壇も、それぞれ建物と同じぐらいの時期に求められたものの様であるが、彫刻に、塗りに、金具に、そして仏具にと、現在の技術では及び難い細工が施され、代々大切に守られてきたそれは、古さを感じさせられるどころか、今尚眩いばかりに輝いていた。
お参りしながら「孝慈」という落款のある扁額やお名号を持たれているお宅が多いことに気付いた。落款の主は、浄土真宗の一宗派である真宗木辺派の第二十代木辺孝慈上人である。孝慈上人は浄土真宗本願寺派の第二十一代明如上人のご次男で、大谷探検隊で有名な第二十二代鏡如上人(大谷光端門主)の弟であり、歌人九条武子夫人の兄にあたる。孝慈上人の書かれたものが多いのは、ご本人が直方の地を訪れたことがあるためだが、招いたのは篤信家であった「谷弥」の谷悦太郎氏だそうである。谷弥さんは呉服を扱う関係で「丸紅」と取引があり、その丸紅を通じて孝慈上人と縁ができたようである。丸紅の創業者「伊藤忠兵衛」は近江商人として知られるが、近江商人はまた熱心な真宗門徒でもあった。司馬遼太郎によると「させて頂く」という真宗的な言葉使いを全国に広めたのは近江門徒だそうだが、ここ直方にも近江門徒の縁が結ばれていたことに驚かされる。
その他にも「利井明朗」という大阪・高槻の常見寺住職の名の見える扁額や、親鸞聖人の御一生を描いた「御絵伝」を持たれているお宅もあり、直方でいかに先人たちがお念仏を喜ばれていたかを窺い知ることが出来た一日であった。
この散策の直前に、私は京都本願寺で研修会に参加していた。そこで全国の住職方とお話をする機会を得たが、その中で、土地に加持祈祷的な考えが深く根付いており、真宗の御法義を伝えるのに苦労していると話して下さった茨城の住職がおられた。それぞれの土地には、長い時間の中で培われた、それぞれの土地の色があるのだと頷きながら聞いていたが、この話を聞いていただけに、直方の持つ「土徳」と呼ぶにふさわしい土地の雰囲気を一層有難く感じていた。
今回の散策を通して改めて気付かされたことは、直方と言う土地が、いかに浄土真宗の御法義を大切にしてきたか、そして直方のそうした「土徳」は、決して一朝一夕に出来上がったものでなく、貝嶋家や、このたびお参りさせて頂いたご家庭の多くの先人方が、そして円徳寺、西徳寺を始め地域の真宗寺院の先輩住職や門信徒、その他多くの有縁の方々が長い年月をかけてゆっくりと、そしてしっかりと根を張るように育てていただいた賜物であるということである。先述の長谷川仏壇店さんの「ほうおうの集い」もこうした「土徳」の上に結実し、そしてそれがまた直方の「土徳」を育んでいると味あわせて頂くのである。改めて今直方に住めることを喜ぶと同時に、この尊い「土徳」を失ってはならないと決意するのであった。貴重な勉強をさせて頂いたお陰でまた一歩「直方人」に成れた気がするが如何なものであろうか。
最後に、ご多用な中でご無理なお願いを快く聞いていただいた円徳寺様、金本様、鋤田様、永末様、長谷川仏壇店様、庄野様、大坪様、田渕様、石原様、前田様、そしてこうした機会を与えお付き合い下さった「ゆいの会」の皆様に厚く御礼を申し上げてご報告を結ばせて頂きたい。大変お世話になりました。 |
| 合 掌 |
| 直方歴史散策に参加された「ゆいの会」の方から感想を寄せて頂きましたので、ご紹介させて頂きます。 |
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十一月二十九日(土)「ゆいの会」主催で「近代町屋のご仏前参り」が開催された。出席者は十九名。十時、円徳寺に集合して、福岡市高宮の貝島邸から移築されたお内仏をお参りした。その美しさ、みごとさに驚いた。そして、円徳寺の御院家様より、貝島家の人々の仏教に対する深い思いをお聞きし、貝島家が直方に居住されていたことを嬉しく思った。そのお仏壇は、そもそも現在の二中の場所にあった貝島家のお屋敷にあったものだそうだ。時を経て、また直方に戻って来る運命だったとは、なんとも不思議だ。
その後、古町筋の金本家・鋤田家・永末家・長谷川家・庄野家・大坪家・田渕家・石原家・前田家を訪問して、商家の造りを見せていただいたり、見事なお仏壇や、先代の御門主や木辺派の御門主のお軸を拝ませていただいたりした。各家に伝わった信仰に対する熱い思いに頭が下がった。とても有意義で楽しい一日を過ごすことができ、ご協力頂いた皆様に感謝申し上げる次第である。
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今回、西徳寺様の「ゆいの会」によって、御信心のあつ篤い商家のご仏前にぬか額づくというもったいないご縁を戴くことが出来ました。
御安置されたそれぞれの仏教美術の美しさや尊さ、炭鉱がもたらした直方の繁栄の中で、更に影響を強めた貝島太助さんの親を敬う御心の深さ、過去のこのまちの計り知れない勢いなど、誇らかな心温まりながらの歴史散策でした。念仏の更なるご繁盛をと願いがこみ上げてまいります。過去八回行った歴史散策、直方の歴史を知ることでこのまちに住む悦びづくりでしたが、更に深きゆかしき日となりました。誠に有難う御座いました。 |
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お仏壇に込められた尊い思い。直方のこの地に、これ程お念仏を喜ばれた方々がいらした事の不思議。
貧苦の中で、お念仏を拠り所にされたお母様の姿を見て生きていかれた貝島太助翁が、財を作られた時、それをお寺に、お仏壇に、学校設立に、病院に使われた事の不思議。
我家の小さな小さな仏壇の前に座っている私。この前に父も、祖父母も、その前者も座ったであろう姿。不思議なご縁をありがたく思えました。 |
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円徳寺様始め直方商店街の格式あるお仏壇・家屋等の素晴らしさ、唯々目を見張るばかりで感動致しました。
直方の街がこれ程伝統と歴史ある街並みだったのかと再確認すると共に感銘を受けました。
最後になりましたが、御院家様、中村さん、長谷川さん、伊藤さん、有難うございました。ご苦労様でした。 |
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あかり消し 弥陀の姿や 院の窓(円徳寺)
み仏の めぐみ受けつゝ 町屋と訪う
旧家の 仏心伝えて 商い人
合掌の 縁を紡ぐや ゆいの友
晩秋の 町のギャラリー ティータイム
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円徳寺の美しい彫刻のある仏壇を近くから見せて頂きまして、心が洗われる様な気持ちになりました。他の多くの古い仏壇を拝見させて頂き、先祖の方々の仏教に対する想いを感じることが出来ました。 |
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今回お寺様のご縁で「かくれ名所 仏様を訪ねて」に参加して、何軒かのお宅を訪問し、大切なお仏壇を拝見・お参りさせて頂き、その家の歴史の重みに触れ、唯々感動するばかりでした。
長い間お仏壇のおもり御守をされる御苦労は大変なことと感じると同時に、私自身も心新たにお仏壇を守っていかなければと身の引き締まる思いがしました。
この様な機会を与えて下さったお世話係の方、有難うございました。
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西徳寺ゆいの会近代町屋のご仏前参りに参加させて頂き大変勉強になりました。商店街の旧家が大事に守っていらっしゃる百年を超えた立派な仏壇を見せて頂いた時には、その威厳と風格に圧倒されそうで思わずいず居住まいを正している自分にびっくり。この技術で今後仏壇を作るのが可能かどうか分からないと聞いて、そんなに素晴らしいものかと又々驚き。
円徳寺と貝島家の結びつきも詳しく説明を頂き、直方の歴史まで話が広がり意義ある一日でした。西徳寺様を始め、長谷川様、中村様、伊藤様、有難う御座いました。 |
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